【イベント】映画Seed上映のお知らせ

映画監督のマサさんとのオンライントークセッション【言語:日本語】* Talk session with movie director Masa will be April 11th (Sat) 7:30pm-8pm (Pacific)

カリフォルニア時間:4/11(土)夜7時〜7時30分

日本時間:4/12(日)11時〜11時30分

映画上映(無料!)もオンラインで、トークセッション最後にリンクお知らせします!詳しくはwww.seedfilm.life/jp/ まで。


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Koda Farm創業者 国府田 敬三郎さん
「ライスキング」、国府田農場物語  試練、困難を乗り越える精神と情熱

高品質で知られ米国で人気の米「国宝ローズ」。誕生の背景には、カリフォルニアで幾多の試練を乗り越え、努力し続けた日系家族の物語があった。

国宝ローズを生産する国府田(コウダ)農場の3世代にわたるライフヒストリーが描かれた映画『SEED the life of the “Rice King” and his Kin(邦題:ドスパロスの蒼空⦅そら⦆』が桜祭りで上映される。

国府田農場は、カリフォルニア州で最古、唯一の日系家族の経営する米農場。1910 年に福島県からの日系移民、国府田敬三郎氏によって創設された。同氏は1882年に渡米後、数々の失敗を経験しながら、実家の事業でもある米作りに米国で出会い農場を設立。種選び・種蒔きから包装・販売まで自社で全てのクオリティ管理を行い、やがて日本米の大量生産に成功。「ライスキング」として知られるようになる。

第二次世界大戦では、他の日系人同様に強制退去を余儀なくされる。終戦後、真っ先に農場へ戻ったが、1万エーカーにわたる土地の多くに加え、設備、自宅などが売却されていた。その後、家族とともに農場を再興、外国人土地法といった差別撤廃に立ち向かい、日系人、日本人の待遇改善に寄与。日本から農業研修の若者を受け入れるなど様々な支援活動を続けたことで知られる。

戦争、差別、公民権運動、水不足など幾多の試練を乗り越えてきた国府田氏の不屈の精神と情熱は、日系人の間で今でも語り継がれている。

日系家族によって運営されてきた米農場、米作りの意味。また日系社会の歴史、文化、ヘリテージの引継ぎなどが、国府田農場を中心にドキュメンタリー映画で描かれている。

◆あらすじ◆

ロサンゼルスからフリーウェイ5を車で約5時間ひたすら北上した広大な大地と碧空の下に静かに佇む小さな田舎町“ドス・パロス。”そこに、カリフォルニア州で最も歴史が古い、唯一の日系家族の経営するお米農場が存在する。国府田ファームズ(以下、コウダ農場)である。コウダ農場の創設者の名は、国府田敬三郎。1882年、福島県いわき市小川町の精米業の実家に生まれる。渡米後、戦前戦後のあらゆる試練にも耐え抜き、ライス・キングとして世に知られ、現在も敬三郎の日系三世の孫たちがその王位を立派に継承している。ロスとロビンだ。不屈の精神と情熱を語るこのドキュメンタリーは、一代目のタネから三代目のタネのライフストーリーであり、また、敬三郎へのオマージュでもある。
“忘れないで。あなたの内には、星までとどくほどの力と忍耐、そして情熱が秘められ、そしてそれは世界をも変えることができることを。
byハリエット・タブマン”

敬三郎は、まだ15歳の時、ある本に出会い、アメリカへ渡りアメリカンドリームを掴む夢を抱く。その間、勉学に勤しみ、師範学校を経て、雪深い山間部の差塩小学校の校長として19歳という若さで就任。渡米の夢を抱いてから10年が経過して、ようやくその夢が叶う。カリフォルニア西海岸で様々な職業を点々とし、数々の失敗も経験、やがて、原点でもあるお米作りに巡り会う。コウダ農場よりも前に日本人のお米農家は存在していたが、この広い大地に種を蒔く最適な方法として、“空からの種まき”というパイオニア的手法をはじめて編み出したのが敬三郎である。種選び・種蒔きから包装・販売まで自社で全てのクオリティ管理を行い、血と汗と涙の努力の結果、日本米の大量生産に成功し、ライスキングとして世に知れ渡るようになる。

そんな幸せも束の間、第二次世界大戦が勃発、ルーズベルト大統領の大統領令9066によって、日系一世、そして日系アメリカンの強制収容がはじまり、国府田家も収容されてしまう。収容所での数年にわたる生活は想像以上に辛いものであったが、戦争が終わると、敬三郎は、家族を連れて真っ先にドスパロスへ戻る。そこで悲惨な現実が待ち伏せていた。日系一世として開拓し、戦前は約10000エーカー所有していた自らの農場が、ほんのわずか10分の1程度を残すのみで、ドライヤー、精米所、機械類、家畜、それに家までもが売り払われていた。

しかし、これがコウダ農場の最後ではなかった。いや、新たなコウダ農場のはじまりに過ぎなかった。これを“東北魂”と言うのだろうか、その当時すでに還暦をすぎていた敬三郎は、新たな農場再建(古い農場からわずか1マイル先)を息子たちのエドワードとウィリアムに任せ、自らは、日本人・日系人たちの地位・生活向上のために公民権運動などを展開し、日本人移民たちには大きな悩みの種であった外国人土地法などの撤廃や、自らの資金を惜しみなく投資して東京銀行設立の援助をするなど、日本人・日系人の待遇改善のために最後まで尽力し続けた。その結果、日本政府から1960年に勲四等を、そして、死後にも勲三等を授与されている。

いかなる試練を何度も乗り越えた敬三郎の不屈の精神と情熱、そして家族の支えがあったからこそ、今のコウダ農場がある。現当主、敬三郎の孫にあたるロスとロビンは、現在、史上最悪の水不足という試練に面しながらも、持ち前の大胆さと冷静さで、先代たちが残してくれた伝統的な国宝ローズ米を作りつづけ、さらに、健康志向の敬三郎が生前ずっと叶えたがっていたオーガニック玄米を実現させた。

カリフォルニアで唯一の日系家族によるお米農場として、これからもコウダ農場は種を蒔き続けるのだろうか?コウダファミリーにとっての「お米」とは何を意味するのだろうか?敬三郎が命をかけた公民権運動後の日系コミュニティはどのように引き継がれているのだろうか?

あきらめなければ夢はいつか芽生えるもの。今日もドス・パロスの碧空には、敬三郎の想いが輝いている。